変わる体質
昔から仕事にしても1つの場所にとどまらず、
未だに自分の「居場所」というものもよくわかっていなくて、
絵を描けば、その時々の表現方法が変わるので作風も画材も全て変わっていきます。
これに悩んだりした時期があります。
でもこんな事に悩んだ時って、結局は自分と誰かを比較した時なんですが。。隣の芝生は青くみえる的な…そんな事だったのかもしれないけど。
物凄いプロに憧れた時、いつもの画材道具で何通りにも表現していくのを目の前で観て衝撃的にカッコ良かった。
絵という表現の中にも沢山の枝分かれがあると思いますが、私は1つに絞れない。でも1つに絞れなくていいや。
そういう表現方法なんだから、、今は…。
その都度変化していく体質。
その時の表現したいことをその時の表現方法に1番合う画材を使ってフロー状態に入り込む。1つの作風で世界を作っている物凄いプロに憧れたりもするけれど、自分のやり方はそれではないのだ。なので私の絵の中の一部を見た人が、また別の一部を見ると、随分と絵も変わったねぇといわれるけれども、そういう事でもまたないんだよなぁ。
1つのものばかりに集中して作り続けていると飽きてしまうという人が、
いくつかの作品を何時間か置きにいっぺんに作る様に、外から見ると同じ人にみえる人の意識の世界ではパラレルワールドが繰り広げられていて、
その時々で、どこに意図しているかによって作品が変化してみえる様な、、そんな感じなのかも。でも結局の集大成の様な大きな最終結果的には目標は1つで、そこに行き着くまでには沢山の派生が存在するってことか。
どうしても、誰かと比較をしたりして、相手の方がとてつもなく凄いと、
凄いなぁ!という憧れだけで、もしくはそこから熱を発していくなら良いものを、自分を卑下してしまう生き方だってある。もうしょうがないもん、その生き方はその生き方でその状況が必要な生き方なのだから…そこから学ぶことがあって、そしてそんな苦しい中でも少しずつ進んでいく生き方だってあるんだもん。あとは、そんな自分でもやっぱり諦めたくないし、
なんだか愛おしいぞ。自分だけは自分の味方でいるって決めたんだもん。
楽しむぞ。自分。
そしてもしかしたらこういう変わる体質の人って、巷から見たら変わり者に見えるのかもなぁ。今では既に死語かもしれませんが、10代の頃は変わってるという言葉に何が変わってるのかよく分からなくて考え込んだりもしましたけど、幼少の頃の母親の私に対する口癖が「変な子だねぇ…」だった事を思い出すと、別になにか変な事ではなく、もうそれはそもそも自分に備わっている個性ではないか!
感謝。
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